本記事の内容は、こちらのポッドキャストでお話ししたことを文章にまとめたものです。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義–古川史健」を読んで、誰のためにどんなものをつくるのか、ということを文章という面から学んでみました。
読者は存在しない。実質的に自分の文章を読んでくれるひとはいるけど、自分が想定している読者像みたいなものはわりと幻想であることが多いので解像度を高めていかないと、だれも興味を持ってくれないという話でした。
読者という勝手な幻想を抱いて、こういうコンテンツを作ったら受けるかもしれないと思ってつくることが多い。それ自体は間違っていないとのこと。
この本では、そこから一歩踏み込んで、実在しない人間を読者として想定するのはやめようという主張をしています。
何をすればいいかというと、読者の椅子にすわるということのようです。
2つあります。
①:10年前の自分
②:特定のあのひと
①:10年前の自分
便宜上の10年前なので、厳密には変えてOKです。
有益な情報とはおうおうにして、「これを10年前に知っていたら自分の人生は変わったかもしれない。あんなに苦しいおもをせずに済んだかもしれない。あんなに悩まずに入れたかもしれない。」というもの。
過去の自分にむけた文章をだれが読むの?というツッコミを入れてみるようにする。
そして、古典文学はなぜいまでも世界中の人々を感動し続けるのか。それは、そこにかかれた課題や悩みが普遍的であるから。どんな時代も同じように悩み、同じことに苦しんでいる。誰にも理解されないという根深い問題こそ、実は普遍的な悩みがあったりします。
なぜ、10年前自分にあてて書くのか。「それは今もこの瞬間に世界のどこかに10年前のあなたがいるから。」
この本も20歳の右も左もわからなかった自分の椅子に座って書かれている。
②:特定のあのひと
たとえば仮想通貨投資に興味があって、テクノロジーが好きな人っていうのをぼくはターゲットにしていました。
でも、勤務先は大企業なのか、中小企業なのか。勤務地は都市圏か、地方か。業種はどうか。年収はどうか。と無限に細分化できてしまい、結局、考えれば考えるほど多数派の罠に陥ってしまう。=文章にひっかりがなく、逆にだれにも受けない。
そこで、必要なのが、「たったひとりのためを思い浮かべて書く」。わたしたちは、何万人もの人の椅子には座ることがdけいない。たったひとつ。特定の一人とはどいうことか。
東京の・中堅医療機器メーカーの営業食の男性・27歳・年収500万・私大出身・地下鉄通勤一人暮らし・彼女あり
みたいな感じ。ぼんやりと20代〜30代男性をイメージするよりもこちらの方が言葉選び、コンテンツ作成の方向性がはっきりする
例:ラブソング
しかし、ターゲットを絞った少数の読者にむけて、書くとこんどはどうなるか。専門性に溺れて難しくなり、雑になっていくということ。
読者は、今自分がどこにいるのかわからなくなる。ひとは文章に知らない単語が2つ以上出てくるとその話を理解しようとしなくなる。
だからぜったい、わかるやつにわかればいいという文章はだめ。
どうすればいいか。第三者を想定する。
テーマとは全く無縁で、まじで無知な人。たとえば自分の親。価値観も世代も全く違う。うちのおかんが理解してくれるのか?を常に意識する。
これからの行動に生かしたいこと
ぼくがこれまで想定しているターゲットは、以下のような感じでした。
「仮想通貨はよくわからないし、怪しい。でもテクノロジーには興味がある。資産運用はしてきたけど、仮想通貨の正しい知識をインプットしてみていい感じに運用できるようにしたいな、リスクを回避できるように仕組みも勉強しておきたいな。」
といった感じ。かなりぼやーとしてますね。
そこで僕が座る椅子は、5年前の自分にしたいと思います。
生活資金に余裕はある。仕事は全然楽しくないけど、でも友達と遊ぶのが楽しいし、趣味を謳歌している。貯金をはじめているけど、あまり計画性がない。将来の目標も決まっていない。それが新型コロナウィルスや世の中の変化によって、自分の仕事が激変してしまった。そうか、世の中は変化しているものなのかと気づく。そして、自分は就職してから歳をとって、体重を増やして、ストレスに打たれすぎていかに仕事をうまくこなして、自分が楽にするかを考えるのが上手くなっている人間であることを感じた。
これではだめだと、インデックス投資をまずはじめ資産を少しずつ増やしていく基盤を整えた。これは放置で積み立てだ。そこで、会社に頼らず個人で稼いでいくためにブログやTwitterをやることにした。そしたら全然伸びない。
仮想通貨というものがあるらしい。ブロックチェーンはどうやら革命的な技術で成長産業のようだ。これは勉強しておいて損はないかもしれない。
そして、もうひとり第三者は自分の奥さんにしようと思う。仮想通貨はまじで意味が不明。カタカナで言葉がでてくるだけで、嫌になるほどテクノロジーに興味がないひと、を想定して考えて、丁寧な説明を忘れないようにしていきたいと思う。
これらを二人の存在にだけ、むけて作っていく。逆にそれが視聴者にささるのかな、と思います。
ブログを書いたり、YouTubeを作ったりする上で気をつけていきたいことをまとめてみました。